近年、アートは美術館を飛び出し、まちの中に様々な形で存在し始めています。企業とアーティストが協業することも増えており、「ONE FUKUOKA BLDG.(ワンビル)」にもたくさんのアートが展示されています。
その取り組みの一翼を担うのが、3F「SPIRAL GARDEN(スパイラルガーデン)」を運営するスパイラルです。株式会社ワコールが文化の事業化を目指してつくったアートセンターで、1985年以来40年にわたって人々とアートをつなぐ仕事を行なってきました。スパイラルでアート事業部 部長、キュレーターとして活躍する加藤育子さんにお話を伺いました。
加藤: このようにギャラリーとカフェ、ショップが一体となった場所は、福岡が初めてです。私たちにとって「全国のアーティストたちと出会う」というのは大切な仕事の一つですが、なかなか九州まで網羅できていなくて。ワンビルの計画段階で西鉄さんからお声がけいただき、福岡に拠点があれば、九州のアーティストはもちろん、東アジアのアーティストたちとも近くなれるなと直観しました。
また近年新しくできる商業ビルでは、常設やイベントなどさまざまなかたちでアートを取り入れる動きが盛んです。それ自体はとてもありがたいことですが、「話題だから」「売れそうだから」といった文脈だけだと、長続きしなかったり、アーティストにとっても消費されたように感じるリスクがあります。西鉄さんとは、「一緒にアートを根付かせ、育てていこう」というマインドを共有することができたので、「じゃあともにやりましょう!」という流れになりました。
加藤育子さん
加藤: 現段階では大きく3つほど予定しています。1つめは、ここ3Fのスパイラルガーデン店舗で、月に一度くらいのスパンで展覧会を行ないます。2つめは、現在(4月下旬取材時)6Fのカンファレンスホールで行なっているような大型の展覧会を、定期的に開催していく予定です。3つめは、ワンビルの共用部です。今回設置した5Fや6Fのほか、今後はオフィスなどにもアートを展開していけたらと考えています。
4/24-5/11まで行われた「Wonder Garden」展
Courtesy of SPIRAL/Wacoal Art Center
Photo: Yashiro Photo Office
これらの取り組みを実現していくために、スパイラルでは2000年から「SICF(スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル)」という公募制のアートフェスティバルを行っていて、今後福岡でも開催したいと考えています。これはジャンル制限なし、年齢制限なしで応募していただけるもので、受賞すると個展やグループ展に参加できるだけでなく、スパイラルがパブリックアートやものづくりなど多様なプロジェクトとアーティストをつなぎ、仕事として継続的にチャンスを得られるよう支援しています。東京では毎回400件ほどの応募があるフェスに育ってきています。
加藤: 美術館というのは、展示する場所であるのと同時に、美術の歴史を刻んでいく組織ですから、研究・調査や発表なども重要な仕事ですよね。
一方私たちスパイラルは「生活とアートの融合」をコンセプトにしています。重視しているのは、お客さま一人ひとりの暮らしにアートを届けること。ここスパイラルガーデンは、まさにそのコンセプトを形にしたアートの庭と言うべき場所で、まるで庭を歩いていて花に出会うように、気軽に足を踏み入れていただいてアートと出会うことができるよう設計しています。
Courtesy of SPIRAL/Wacoal Art Center
Photo: Yashiro Photo Office
ショップとギャラリーとカフェがシームレスにつながっているので、カフェにお茶を飲みに来て、その流れで展示を見る、カフェにアートが飾られている様子を見てインテリアのヒントを得る、など様々なアートと偶発的に出会える場所です。生活空間の中にアートの居場所をつくるということを、具体的に感じていただきたいなと思っています。お客様から「スパイラルに来ると、いつのまにか展覧会を見ていたんだよね」とか「こういうふうに作品を飾ればいいんですね」などの声をいただくと、「やった!」と思います。
カフェでは、手の届く場所で、九州と関係の深いアーティストたちの作品をご覧いただくこともできますよ。
福岡出身の山崎悠人さんの作品
加藤: まず一つには、視覚的にわかりやすいかたちで「見慣れた日常が、新しい風景になる」効果があります。例えば自宅の壁に一枚、絵を飾るだけで、これまでとは違った景色が立ち現れますよね。
もう一つ、「アーティストならではの世界の切り取り方を、自分にインプットする」という点にも価値を感じています。例えば、いま6Fの「Wonder Garden」展で展示している鈴木康広さんの作品は、真っ白な筒から葉っぱの形をした紙がヒラヒラと舞い降ります。葉っぱには、開いた目と閉じた目が描かれていて、舞い降りる途中でまるでまばたきをしているように見えます。アニメーションの原点と言われるソーマトロープを利用した作品ですが、鈴木さんは「人間はまばたきしている間に何かを見落としているかもしれない」と言っています。それを聞いて、ハッとしました。私たちはずっと見ているつもりでも、一瞬絶対にまばたきをしてしまう。その時に世界の様子を見逃しているんですよね。
鈴木康広さんの作品を楽しむ、来場者と加藤さん
鈴木さんがこの「まばたき」に注目したのは、証明写真を撮る時の「まばたきにご注意ください」というアナウンス。「あ、目を閉じた写真では自分であることを証明できないとしたら、目をつぶっている時の自分は、自分ではないのか?」と考えたそうなんです。こういうアーティストの着想に接することで、ハッとする瞬間、心が動く瞬間と出会えるのが、アートの醍醐味だと思います。
加藤: どうしても日常生活やビジネスシーンでは経済性や合理性を求められることが多いですが、そうではないモノの見方をしている人たちに接すると、様々なありかたが許容されているようにも思うんです。
なんといいますか…。人間として生きていく、地球の上にある命として生きていくと考えた時に、どのようなアプローチがあるのだろう、世界とどのようにコミュニケーションする方法があるのだろう、という思考のヒントがあるようにも感じています。
加藤: 大学では都市計画を学び、大学院でアートプロジェクトの研究をしていました。ちょうどアートフェスやアートプロジェクトがすごく増えた時期で。その時に見た横浜トリエンナーレが、これまで美術館で見ていた作品とまったく違っていたことに衝撃を受けました。「こんなふうに人々の暮らしの中にアートとの出会いをつくる仕事をしたい!」と思いました。
入社してアーティストが作品をつくる現場に伴走するようになり、彼らと一緒にしか見られない未来があると確信しました。そのエネルギーの強さに圧倒され、おもしろがっているうちに、いつのまにか今に至るという感じです。
池平徹兵さんの作品の前で
加藤: アーティストって、事務作業が好きじゃない人も多いので、貴重な創作時間を奪わないように、書類作成ややりとりを極力減らすなど、作品づくりに専念できる環境を整えることも、私たちの仕事の一つです。
もう一つの重要な仕事は、「アーティストのビジョンを翻訳して伝える」ことだと考えています。例えば今回の西鉄さんのようにアーティストとクライアントにとって初めてのお仕事をする際、互いにリスペクトはあってもこれまでの仕事とは環境や言語が異なります。そんな場でコンセプトだけをぽんっと放っても、本来目指しているものがお互いに伝わらない可能性があります。そこで私たちキュレーターが、なぜこの作品がこの場にふさわしいのか、その必然性を双方に翻訳して伝え、チューニングするんです。
加藤: アートの世界の潮流や文脈を踏まえ、アーティストの作品の魅力を客観的に伝えることも大切です。なぜなら、アーティスト自身が自分の魅力をすべて分かっているわけではないからです。これから次のステップで飛躍するアーティストを紹介する役割もあると思っています。
加藤: 今回初めての展覧会をやってみて、来場者のみなさんが積極的に作品を楽しんでくださる様子に、とてもポテンシャルの高い地域であることを再認識しています。いろんなアートを楽しんでもらえる土壌だと感じます。
また「アジアに近い」ことも実感しています。本当に気軽に行き来できる場所なんですよね。韓国や台湾、中国の近さは、やはり福岡ならではのユニークさです。さきほどお話した公募を行うフェスティバル「SICF」では、様々な方を審査員にお招きするのですが、福岡で行う場合はぜひアジアの方にもお願いしたいなと思っています。
アートからは様々な社会の状況がにじみ出してきます。ここに韓国のアーティストの作品があれば、これはどういう文化を背負った作品で、なぜここに置かれているんだろう?と考えるでしょう。この「考える」ことが大切で、いまは検索すれば全部の答えが出てくるような錯覚に囚われてしまいますが、世界はわからないことや答えが出せないことで溢れています。それでも作品を入口に「なぜだろう」「なんだろう」と考え続けることは、本当の意味でのコミュニケーションや理解につながっていくのではないかなと考えています。
加藤: 思わずハッと目に入ってくる作品を、多く展示しています。やっぱり「なにこれ?」「おもしろい」など、スッと入りやすい「最初の出合い」って大切だと考えています。気軽に出合っていただき、それを入口にアートの庭を巡っていただけるとうれしいです。
加藤 育子(かとう いくこ)
東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了後、スパイラル/株式会社ワコールアートセンター入社。ギャラリー担当ならびに同チーフ等を経て、現在アート事業課 課長・キュレーター。現代美術を中心とする展覧会の企画制作業務をベースに、スパイラルにおけるアートコンテンツの管理や新規プログラム開発などを担当。