ONE BUILDING JOURNAL

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2026.06.30 UP

福岡・天神の「伝説のインテリアショップ、NIC」の記憶を辿る

ワンビルが建っている場所にかつて、「伝説のインテリアショップ」と呼ばれる店がありました。その名は『NIC(ニック)』。5月に行われたインテリアデザイナー・永井敬二さんの名作椅子のエクスペディション展では、ワンビルがメイン会場となり『NIC』をテーマにしたコレクションが展示され、懐かしそうに眺める人が多数来場。NICとは、いったい何だったのか。今回は、同店の元社員として活躍した『じぇいず』のオーナー・中野順一さんを招き、当時の思い出を語っていただきました。



『NIC』が旧福岡ビル(通称・福ビル)に開業したのは、1966年のこと。地元企業の西鉄と百貨店の岩田屋が共同出資した会社で、店名はNishitetsu・Iwataya・Companyの頭文字に由来します。「すまいを創る」をスローガンに掲げ、日本でも先駆けて「インテリアデザイン」を体現する店でした。当時20代だった中野順一さんが入社したのは、NICの開業3年目の頃。以来、同店が幕を下ろすまでの約28年間、その隆盛を間近で見てきた一人です。

──NICは、どんなお店でしたか? 当時の様子を教えてください。

中野さん:福ビルの2・3階に店を構え、敷地面積は1,500平方メートル。エスカレーターで2階へ上がると中央に海外のモダンデザインのインテリアがディスプレイされ、クラフトやカーテンコーナーのゾーン、そして東側には家具と照明、西側には和の家具と民藝…といった感じのレイアウトでした。3階には〈天童木工〉〈モリシゲ〉などのショールームも。売り場を回遊しながら、暮らしのシーンを思い描いてもらう見せ方でしたね。

店内奥には『NICサロン』というカフェを併設していました。今でこそカフェ併設店舗が当たり前にありますが、当時は本当に珍しくて。商談の席や一般客の憩いの場として親しまれ、あまりに賑わったため来店数を制限しようとメニューの価格を上げたところ、かえって特別感が増したようで、さらに多くの人が押し寄せてしまうというエピソードもありましたね(笑)。


──店に並ぶ家具や雑貨も、当時としては先進的だったとか?

中野さん:NICには「グッドデザイン」を基準に据えるという、はっきりした方針がありました。何を良いデザインとするか。その物差しを握っていたのが、九州のデザイン運動を率いた柏崎栄助さんらの顧問陣です。

取り扱いブランドの代表格には、アメリカの〈ハーマンミラー〉や〈ノル〉、北欧の〈フリッツ・ハンセン〉、イタリアの〈カッシーナ〉、国内では〈天童木工〉など。ミッドセンチュリーの名作が多数並び、「いつかは欲しい」と若い人も足を運んでくれましたよ。グッドデザインの家具やオブジェを眺め、その場のムードに触れること自体が、審美眼を養う体験だったのではないでしょうか。

陶器やガラス製のクラフト雑貨、婚礼の引き出物も人気でしたね。ギフトのアイコンになったのが、開業時に生まれたゼブラ柄の包装。これは実物のシマウマを撮った有機的な模様で、印刷では赤みを忍ばせ、完全な白黒ではない細やかなニュアンスが表現されていました。ゼブラ柄のラッピングで贈ることに喜びを感じるお客さまは多く、閉店までNICを象徴する存在でした。

──NICが「伝説」といわれる所以を掘り下げたいのですが、中野さんからみて、NICの凄さはどういったところだと思いますか?

中野さん:私が驚くのは、NICの創業そのものです。1966年の開業当時は、日本が終戦して20年ほどのタイミング。経済の成長とともに“衣”と“食”がようやく満たされてきたけれど、“住”にまで関心を寄せる人はまだ少ない時代。そんななか、地方都市で「インテリア」という横文字で事業を起こしたのがNIC。当時の経営陣の先見性は、本当にたいしたものだと思います。

また、その頃の家具といえば婚礼ダンスばかりで、単品で買うのが主流。家具と雑貨をコーディネートする意識がまったく根づいていませんでした。そういう“時代にないもの”にNICは切り込み、国内でもいち早くインテリアデザインに着目。ニューヨークでも東京でもなく福岡で、家具に照明や雑貨、クラフトなどを添え、暮らしのシーンや情景ごと提案するという「住」を編集してみせたのです。

──まさに、“ライフスタイルショップ”の先駆けですね。国内外のモダンデザインの素晴らしさを教えてくれる店である一方、名だたる施設の内装を手掛けていたと聞きました。

中野さん:はい、「NICデザインセンター」という設計部門があり、県内各地のホテルやオフィス、ホール、飲食店などの内装デザイン・設計施工を手掛けていました。私の入社当時のデザインセンター室長は葉 祥栄さん。のちに世界的建築家になる人です。そんな偉大な方が在籍し、浦辺鎮太郎氏設計の西鉄グランドホテルを手始めに、数多くの内装デザインを次々と手がけていきました。私は営業部として西鉄グランドホテルのエッグチェアの納品に携わり、今なら百万円を超える名作椅子の採用を許諾した西鉄の心意気には驚かされましたね。

ちなみに、客室の家具をつくったのは岩田屋関連会社の家具事業部で、そこには当時インテリアデザイナーとして活躍されていた永井敬二さんもいらっしゃいました。

中野さん:ほかにもNICにはデザイン関連の催事部門があり、私の記憶に強く残っているのはアントニ・ガウディの建築を特集したイベントです。サグラダ・ファミリアの模型を逆さに吊って展示されていて、その演出が衝撃的で話題を集めていました。ハーマンミラーやノルの展示イベントも行い、当時デザインで名を馳せた東京・銀座松屋のデザイン室と組んだ催事も行われていたと記憶しています(*)。

3階には婦人服のブティック『ブティック・ド・ニック』がつくられ、空間デザインを手掛けたのはやはり葉さん。ブティックではハイブランドの服やジュエリーを扱い、オートクチュールの注文も受け、ファッションショーも定期的に開催していました。

*1971年、NICは一貫したデザイン方針の企業活動が評価され、日本インテリアデザイナー協会賞を受賞。翌1972年には東京・銀座松屋で「NIC展」が開かれ、地方の一店舗としてはきわめて異例の高い評価を得ました。

──NICにはどんな人たちが集まっていましたか?

中野さん:お客さまは暮らしに余裕があり、デザインに関心のある方々が多く、九州各地からたくさんの方が足を運んでくださいました。インテリア・建築の関係者も多数訪れ、県外から来られる方は「福岡に行くならNICと大濠公園は見ておけ」なんて言われたとか。

社内のデザイン室には、クリエーターや業界人の出入りもあったと思います。現在陶芸家として世界で愛される鹿児島睦さんや、有田焼の人間国宝・十四代今泉今右衛門さんも、若き日にNICで働いています。

中野さん:店の一角に特設スペース「NICデザインセンター」が設けられ、国内外のデザイン資料がずらりと揃い、一般のお客さまも手に取ることができました。プロダクト、建築、デザインを繋ぎ合わせ、家具店という言葉では収まらない場所だったのではないでしょうか。

暮らし方や空間づくりの考え方そのものを提供し、物を売るだけではない“文化の発信地”だった。そういったNICの姿勢が多方面に評価されて、今も語り継がれているのだと思います。

──いろいろな人にインスピレーションを与えていたのですね。モダンデザインの蒐集家として有名な永井敬二さんも、その一人だったのでしょうか。

中野さん:きっとそうでしょうね。彼も海外へ足を運びながら名作に触れ、NICでもたくさんのモダンデザインを目にしていたはずです。葉さんが永井さんのコレクションについて寄せた記事に、NICのことも書かれていました。


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福岡を拠点にモダンデザインを蒐集してきた永井敬二さんの仕事を未来につなごうとしているのが、KEY & DESIGN COLLECTIONの山田敦貴さんです。永井さんのコレクションを展示する『名作椅子のエクスペディション』を企画し、ワンビルの会場づくりにあたりNICを回顧する空間を演出しました。最後に、同イベントの企画者・山田さんにも話を伺いました。

──永井さんとNICには、どんな縁があったのでしょう。

山田さん:永井さんは岩田屋関連会社の家具事業部を経て、インテリアデザイナー・コレクターになられた方です。NICのすぐそばで働き、足しげく通っては、デザインの情報を集めていたようです。彼のモダンデザインのコレクションの源流には、まちがいなくNICの存在があったと思いますよ。ご本人の言葉でそう語られている資料も残されています。

──その縁が今回のイベントで形となって表れていますね。

山田さん:椅子のコレクション展を街の20カ所で同時多発的に開催し、各会場にはその場所の歴史と重なる椅子を選んでいます。メイン会場となるワンビルは、かつてNICのあった福ビルが建っていた場所。そんな背景から、NICで取り扱われていたプラットナーのワイヤーチェアやチューリップチェアなどを展示しました。

中野さん:チューリップチェアは、私がお客さまへお薦めをし、買っていただいた最初の洋家具なんですよ。会場で目にしたとき、本当に懐かしく感じましたね。

──半世紀前にこの場所で売られていた椅子や、NICの思い出のカケラたちが、永井さんの手を経て、展示アイテムとして再びこの場所に。それは決して過去を懐かしむだけのものではなく、かつてここの場所で伝えられていた美意識をこれからの世代へ伝える機会になったはずです。

話を聞くほど先進的で、鮮烈で、人を惹きつけてやまない存在であったNIC。ニューヨークでも、東京でもなく、この地方都市・福岡で、戦後20年あまりの時代に“暮らしの美しさ”に賭けた人たちが集まり、文化を牽引するNICを築いていったこと。そして今、その場所に建つワンビル。かつてNICが果たしたものを受け継ぎ、文化と街と人を結び、新しい価値を生み出していく存在となるように。次にここから何が生まれるのか、その続きを見届けていきましょう。


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Interview & Text & Photo_ Maiko Shimokawa
Edit_ Taku Kobayashi

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