ONE FUKUOKA BLDG.の1周年を彩った画家、北村直登さん。福岡県出身でありながら大分を拠点に活動し、全国各地での個展やライブペイント、ドラマへの絵画提供など、幅広いフィールドで存在感を放っています。今回の1周年記念展「北村直登展 画家という生業 in FUKUOKA」では、その場に集まった人たちのモチーフをすべて混ぜ合わせてひとつの作品へと昇華させるライブペインティングを披露。完成の瞬間、涙を流す来場者の姿もありました。サッカー一筋だった少年が画家になるまでの道のりと、福岡という街への想いについて話を伺いました。

――北村さんはもともとサッカー一筋だったとお聞きしました。画家になるまでの道のりから、まず聞かせてください。
北村:高校はサッカーのブラジル留学制度があった大分県佐伯市の学校を選んで、入学式の翌日にはもうブラジルに発ってました。プロになること以外の人生設計をまったくしていなかったので、もう全力でしたね。
帰国後も打ち込み続けたんですが、大学で現実が見えてきて。監督に気に入られるかどうかで決まっていく世界に疑問が出てきました。他人に自分の運命を任せたまま続けるより、「60歳になっても続けられるものに人生をかけたい」と思うようになったんです。
――そのタイミングで、サッカーを辞めて表現の道へと進まれたんですね。
北村:辞めた理由が、実はちょっと笑える話で(笑)。土日に天神コア周辺で撮影が行われていた、雑誌「MEN’S NON-NO」の人気企画、ストリートスナップに出たかったからなんです。土日に試合や練習があるサッカーを続けていたら間に合わなかったから、泣きながら監督に電話して辞めると告げました。「今辞めないと一生行けない」と思って。
思い切って参加したそのグランプリで、なんと大賞を獲ってしまって。雑誌の福岡ページをくまなく探しても自分の写真が見つからなくて、「せっかく辞めたのに」とがっかりしていたら、表紙近くの大賞ページに自分の名前があって、腰を抜かしました(笑)。
――そこから何がきっかけで絵を描こうと思ったのでしょうか?
北村:サッカーを辞めて、自分が何者かと言いがたかった時期だったので、ファッションで表現することに希望を感じました。それを機にいろいろな雑誌のスナップやオーディションを受け始めて、東京に面接や演技の審査を受けに行くようになりました。そのときに訪れた表参道で絵やアクセサリーを売っている人たちを見て、強く惹かれるものがあったんです。
すぐに大分に帰って描いた絵を持ってまた上京して。表参道や井の頭公園で売るという生活を続けていくうちに「これが自分に合っているのかも」という感覚を抱いて、画家としての経験を積んでいきました。
ファッションスナップからの流れにひとつひとつ意味があったというか、糸を掴むように新しい頼りを探していたんだと思います。もし絵に出会えていなかったら、今頃何していたのかなってたまにふと考えますね。
ーーそこから画家を続けるなかで、大事にしてきたことはありますか?
北村:売れなかった翌日こそ必ずまた街に出ることですね。もし売れなくても絵を並べて、片付けて、帰る。それだけでいい、と決めていました。
誰も見ていないイベントでも手を抜かないのも同じで、そういうときに頑張れる人間が残るというのはサッカーで学んだ感覚ですね。負けた試合でも最後まで諦めなかった選手がいるチームが奇跡を起こせるじゃないですか。あの感覚と同じなんだと思います。

――制作において大切にしている考え方について教えてください。
北村:なるべく言葉を使わないようにしています。言葉って便利なんですけど、その分すごく限定してしまうと思っていて。だから、自分の中にあるものをそのまま出すためには、言葉にしないほうがいいのかなと感じています。全部を理解してもらう必要はないと思っていて。自分がその中でもがいている感じとか、何かを掴もうとしている状態が伝われば、それで十分かなと思っています。
――作品を見せることについて、意識していることはありますか?
北村:描き変えない、うまく見せようとしない。今の年齢の下手さをきちんと残しておきたいんです。3年かけて手直しすれば描けるものは、3年後には30分で描けるようになる。それをわざわざ今やる意味がないと思っていて。10枚描けば1枚いい絵が生まれるというサイクルを信じて、淡々と続けています。

――画家としての活動をスタートしてから数十年経った今、ご自身の中で変化はありますか?
北村:以前は自分の中身を開示することが本当に苦手で。でもスタッフがYouTubeを始めようと言い出して、撮り始めていくうちに少しずつ変わっていきました。ある日イベントで涙が出て、自分でも驚いて。絵を通じて人が救われる可能性があるということを感じるようになってから、ショート動画で人の気持ちを代弁するような言葉を発信するようにもなりました。
自分が絵の邪魔をしないようにしていた時期があったけど、今は絵を描いた自分にできることを最大限やることが、絵の価値を上げることだと思っています。
――実際に、今回のライブペインティングを観ている方が涙されている場面もありましたね。
北村:ああいう姿を見ると、本当にありがたいなと思いますね。自分がやっていることが、誰かにとって意味があるかもしれないと思える瞬間でもあるので、これからも続けていきたいと思います。

――今回のライブペインティングについて教えてください。
北村:その場にいる人たちからモチーフをもらって描いていくんですが、最後にそれを全部混ぜて一つの作品にしています。一つひとつも作品として成立しているんですけど、あえて混ぜることで、その場全体が一つになるような感覚があります。
――完成したものをあえて“壊す”ようにも見えて、1枚目の作品のときは会場からどよめきの声も聞こえていました。
北村:壊すというよりは、繋げている感覚に近いかもしれないですね。それぞれのモチーフを描くだけでもいいと思われるかもしれないんですが、誰一人欠けることなく、その場にいる人たち全員でできている作品だと思っているので、すべてを繋げてその一回性を大事にしています。
――ほとんど考える時間もない中で、どんどん描かれていくのも印象的でした。
北村:描きながら見えてくることが多いですね。最初から全部決めているわけではなくて、描いていく中で絵のほうが導いてくれる感覚です。その場の空気や人の声で変わることも多いので、自分がコントロールするというよりは、流れに乗るという感じです。

――今回、ONE FUKUOKA BLDG.に初めていらっしゃったとのことでしたが、実際に来てみていかがでしたか?
北村:正直、すごいなと思いました。天神のど真ん中に、こんなにアートに力を入れている場所があるんだって。かつてここには天神コアや福ビルがあって、僕自身もコアには青春の記憶があるんです。そういう場所に新しいビルが生まれて、アーティストとこうして関わる場を作ってくれているのがすごく嬉しくて。
美術館のように作品を観るための場所ではなくて、日常の中にある場所だからこそ、ここに来たときに感じた何かが自然な形で記憶に残っていく。そういう体験ができる場所だと思いました。
――福岡という街についてはどのように感じていますか。
北村:出身地でもあるし、大分を拠点にしながらもずっと関わり続けてきた場所です。福岡の人が福岡のことを大好きなところが、僕はすごく好きで。そのエネルギーに引っ張られるようにして、大分にも人が来るきっかけを作りたい。福岡と大分をつなぐ役割を担いたいと思っているので、こうして福岡での足がかりが増えていくことはとても大事なんです。九州をひとつのチームとして捉えていて、福岡がリーダーとして引っ張ってくれているから、僕も大分からくらいついていかないと!

――最後に、この場所で作品に触れる方にメッセージをお願いします。
北村:今回こうして関わらせてもらって、またここに来たいと思いました。アートと街と人が交わる場所って、やっぱり特別な記憶が生まれるんですよね。僕も路上で絵を売っていた頃から、そういう偶然の出会いに何度も救われてきたので。ワンビルに来た誰かが、ふとした瞬間に何かを感じてくれる。そういう場所であり続けてほしいですし、僕もそこに関わり続けられたら嬉しいです。
今回の個展会期中にはライブペインティングの他に、巨大塗り絵ワークショップも開催。北村さんが描いた巨大な下絵に、会場に足を運んだたくさんの人たちが、思い思いに色を塗り楽しむ姿で賑わっていました。
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Interview & Text & Photo_Yumi Hyfielde
Edit_Taku Kobayashi
北村 直登
NAOTO KITAMURA
1979年生まれ、福岡県春日市出身。幼少期よりサッカー漬けの日々を送る。大分県佐伯市の高校へ進学し、在学中に1年間ブラジルへサッカー留学。大学時代に絵を描くことに興味を持ち、東京と大分を行き来しながら、路上にて毎日絵を描き販売する。2002年に大学を卒業後、大分市で画家としての道をスタート。2005年には大分市美術展覧会入賞。現在、全国各地で個展やイベントを開催。ドラマへの絵画作品提供やYoutubeなど、活躍のフィールドを広げている。