福岡の地に根ざした、工芸のアートを飾りたい。
「メインのアートは舘鼻則孝さんの作品でいくことが決まっていたので、そことの相性を考えながら、新しい方向性を探っていました。プランニングしていく中で、福岡という地に根ざした工芸を使って、アート作品にできないかと思ったんです」
と言うのは「Tokyo pm.」の代表・山本洋介さん。インテリアデザイナーとして店舗などの設計をすると同時に、国内外のデザインプロダクツを扱うコンセプトショップ「PARKER」を運営。またホテルに飾られる、アートのディレクションの仕事も手がける。
そのマルチな活躍によって磨き上げられた経験とセンス、また人と向きあい、ひたむきに作り上げていく実直な姿勢に「Plan・Do・See」側から全幅の信頼が寄せられ、東京・青山の「AOYAMA GRAND HOTEL」に次いで福岡・天神「ONE FUKUOKA HOTEL」のアートディレクションを担うことになった。
「とはいえ、とくに地元とのつながりがあったわけではなくて。1からリサーチすることから始めました」
そこで偶然、福岡の観光ウェブサイトで見つけたのが、福岡県南部の八女地方で400年以上も続く和紙の文化。
障子やふすまなどの建具から、提灯や表具用紙、また舞妓や役者が使う高級ちり紙まで用途の幅は広く、明治末期から昭和初期にかけて生産者は1700軒以上いたものの、機械紙の進出により激減。現在残るのはわずか5~6軒のみで、うちの1軒が「松尾和紙工房」。
ここもまた100年以上の歴史を擁する老舗だが、されど伝統にとらわれず、新たな挑戦もいとわず受け入れる風通しのよさがあった。
それは、山本さんが手さぐりのまま「ここだ!」と直感し、勢いでアポ無し(!)で訪れても、営む松尾夫妻が温かく迎え入れ、耳を傾けてくれたことからも物語っている。
あの有名ブランドから着想した、和紙の新たな加工。
工房とショールームを見学しながら話すうち、山本氏が目を光らせ、たちまち心を奪われたのが、美しくも緻密に折られた紙だった。
いわくこれは型紙で、プリーツをする工場で折り目をつけた和紙の作品を、井筒屋百貨店からの依頼で制作。これが2006年の福岡県の産業デザイン大賞(FUKUOKA DESIGN AWARD)の大賞を受賞したという。
ただすでに約20年の月日が流れており、詳しいことは当時の企画担当者である島添さんを通して欲しいという。「ぜひ紹介してください!」山本さんは、そこで再度の来福を約束した。
「きっかけは、プリーツを使った洋服のブランドだったんですよ」
と話すのは、「添」プランニングネットワーク主宰の島添正信さん。
井筒屋久留米店に伝統工芸の文化村を作るという計画が立ち上がり、当時企画を手がけていた島添さんが目を付けたのが、八女の和紙だった。
「天神にある岩田屋さんにあるお店を見て、これや!と思ってね。さっそく工場を調べて電話しまして『和紙を使ってプリーツできませんか』と聞いてみたんです。そしたら先方が言うわけです『そりゃダメです。100%破けます』って」
「破けてもいいです。とりあえず持っていきますので」そう島添さんが言い切ったのは理由があった。「ここの和紙は引きが強いから、きっと大丈夫やろう」。実際、加工してもまったく破れなかったのだという。
丈夫でしなやか、独特のハリと質感のある表情。
その秘密は、原料の「楮(こうぞ)」という植物にある。
和紙の場合、この乾燥させた楮を煮熟、漂白、均一に粉砕した繊維を、水の中で「簀(す)」を使って漉いていく。
通常、楮の繊維は1㎝以下。しかし九州産の楮は成長が早いため、2㎝以上あるものが多く、漉く際にそれらが絡まりあうことで、より強靭になるのだという。
その証にと出してくれたのは、和紙でしつらえたライダースジャケット。
まさに布地のように丈夫でしなやか、独特のハリと質感のある表情は、やはり紙でなければ出せない。
さらに山本さんは窓に飾られていたタペストリーにも目を奪われた。
短冊状に細長く切られた和紙が織り物のように交差した作品で、同じ八女で活動するアーティスト夫妻が手がけたという。
「これはまさに「創造交差点」というワンビルのコンセプトにもぴったり。これは面白いアート作品になるかもしれない」
山本さんは八女の和紙に、限りないポテンシャルを感じた。

「東京のコピー」はしない、Plan・Do・Seeのホテル作り。
「八女和紙を使ったアートを飾りたい」「ONE FUKUOKA HOTEL」の館内を彩るアートのディレクションを手がける「Tokyo pm.」の代表・山本洋介さんは、運営側にこのようなプレゼンをしたところ、Plan・Do・See側の反応はすこぶる上々だった。
本プロジェクトの企画段階から携わる本多篤さんは、当時のことをホップするような口ぶりで教えてくれる。
本多「まさかの八女か!と。そこから引っ張ってくるとは思いもしなかったので、まさに“創造”ならぬ“想像”を超えて、交差して交差して、どこのインターチェンジで降りるんだろうかと(笑)。ただ僕らがホテルやレストランを展開する時、東京でやったことをそのまま福岡に持ってくることは、ありません。地域に根ざし、愛されることを大事にしていますし、そこに一番の価値を置いているので、まさにこの提案はぴったりだなと思いました」
地域に根ざしたホテルを作りたい ーー こうしたプロジェクトにおいてしばしば使われる耳触りのいい言葉だけに「どこまで?」と思ってしまう……ところが、彼らは違った。
本当に、ぐいぐいとコミットしてくるのだ。
現地に行って対話をし、肌で感じたこと。
山本「まずは、本多さんと一緒に八女に行くことになりました。そこで松尾和紙さんをはじめ、地域の方々をいろいろと紹介したんです」
本多「僕は佐賀の唐津出身なんですけど、そこともまた全然違う文化が広がっている。改めて九州の奥深さを感じましたね」

現地でさまざまな人と対話を重ねるにつれ、本多さんが改めて気づかされたことがあった。
本多「地域の方が、いかに今回のプロジェクトに興味を抱いているのかということ。やはり天神の一等地で、もとあった福ビルは歴史が長いこともあり、地元の人から今も愛されてることを非常に体感して。しっかり最後までやり遂げないとな、と思いました」
すでに何度も通い続けている山本さんもまた、さらに思いを深くした。
山本「松尾さんから始まって、いろんな人をご紹介いただくんですが、みなさん本当に穏やかで、いい人しかいなくて。もちろん、街自体ものどかでいいなと思いますけど、まずは人。そこは、何回行っても変わらない印象です」

メンバー全員、引き連れてのツアーへと発展。
それだけでは終わらない。本多さんがゼネラルマネージャーの高畠さんに軽く「八女行きますか?」と話を振ったところ「であれば、メンバーみんなで行きたい」と返ってきたという。
そして話はトントン拍子に進み、なんと大型バスを借り切り、数十人という八女ツアーが決行されたのだ。
本多「お客さまにアートについて聞かれた時、サービスのメンバー全員が語れたほうがいいよね、と。オープンにあたって新規採用したスタッフも多かったので、僕らがふだんどういう視点で構築しているのか、何を大事にしているのか。そういう姿勢を彼らに見せたい、という意図もありました」
ここでフル発揮されたのが、地元のネットワーク。
山本「とにかくこんな大きなバスをどこに停めようか、というのが目下の課題で。ただ今まで知り合った地元の人たちが『あそこの駐車場なら停められる』、『ならばこういうコースがいい』などと連携をとって動いていただいた。ホント、地方ならではのコミュニティに助けられました」
実際に訪れたところ、つくづく感じるのはその徹底したおもてなし。行くところ行くところ「まずはどうぞ」と、お茶を差し出してくれる。しかも、さすがお茶の産地だけあり、ひと口飲むとじんわりうまみ甘みが広がる、クオリティの高さと言ったら!
誰もが驚き、そして笑った!作り手たちのプレゼン力
さらに驚くべきが、プレゼン能力の高さ。とくに「松尾和紙」の松尾佳良子さんは、声を張り上げながら、立板に水のごとくよどみなく、わかりやすく、時にジョークも交えながら(!)軽妙に、八女和紙についてレクチャーしてくれる。
松尾「楮(こうぞ)という紙の原料の繊維を、ほぐしやすくするのが『ネリ』です。トロロアオイという草の根をつぶすと出るオクラのような粘り気が、リンスのような役割になって、繊維がからまず、きれいにバラバラになります。また漉いた紙を重ねてもくっつかないのも、この『ネリ』が効いているから。ただ乾燥すると飛んでしまうので、必要な時には役に立ってくれて、必要がなくなると消えてくれる。いい恋人みたいな(笑)」
八女の女性は、まさに和紙のように強く、頼もしい!よりそれを確信したのが、造形作家の矢賀部恭子さんと出会ってから。山本さんが注目する、和紙を市松に編んだ作品を手がける張本人だ。
矢賀部「もう、半世紀くらい前よね。当時通っていた美大の教授が八女の人で『ここには和紙があるから、それを使って何か作りなさい』と言われて、卒業制作で作ったのが最初です。その後結婚して、夫の仕事の都合で長崎の佐世保にいたんですけど、実家のある八女に舞い戻ってきたのをきっかけに、また和紙と出会って。そこで(制作意欲が)爆発しました(笑)」
松尾さんから仕入れるという和紙は、こんにゃく糊加工をしたものを好んで使うそう。
矢賀部「そうすると丈夫になるし、なんとも言えない、いいシワが出るんです。それに惚れちゃった。顔には欲しくないけど、紙にはシワが欲しいよね(笑)」

「ONE FUKUOKA HOTEL」がめざす、見えない「アート」。
「地域に根ざすホテル」をめざし、地元の伝統工芸を使ったアートを飾る。彼らが本当に大事にしているのは、その事実よりもむしろ、そこに至るまでのプロセスなのかもしれない。このプロジェクトを通じて、地域の人たちと関わるきっかけを作る。自分たちの足で出向き、空気を感じる。彼らの声にこよなく耳を傾け、土地に対する愛を受け取り、活かす。
目には見えないけれど、確かに場に宿るアトモスフィア。これもまた「ONE FUKUOKA HOTEL」のめざす「アート」のひとつ、だとするならば。