ONE FUKUOKA PROJECT.
歌手を夢見てオーディションに挑戦し、悔しさを感じていた日々。ファッションやカルチャーに目覚め、ファッションビルや大名の古着店、レコードショップを訪れていたという植田真梨恵さん。中学卒業後、単身大阪へと向かい、本格的な音楽活動をスタート。2014年にはメジャーデビューを果たし、キャンペーンやライブを通じて福岡を訪れる機会も増えたそう。多感な時期を過ごした福岡・天神への思いをお聞きしました。
シンガーソングライター
1990年、福岡県久留米市生まれ。幼少期から音楽に興味を持ち、小学生時代には地元ののど自慢大会に出場するなど、音楽活動をスタート。中学卒業後、単身大阪へ移住。15歳で作詞作曲を始め、16歳の春、力強いハイトーンボイスと怖いもの知らずのライブパフォーマンスがレコード会社スタッフの目に留まり、本格的な音楽制作活動を開始した。2014年8月、シングル「彼に守ってほしい10のこと」でメジャーデビュー。2024年にはデビュー10周年を記念して、全国12カ所を巡るツアーを行なった。
子どもの頃から歌うことが大好きで、5、6歳の頃には「将来は歌手になる!」と決めていました。初めて天神に来たのは小学校低学年のとき。叔母が連れてきてくれました。天神地下街を歩いたり、イムズのお米ギャラリーでおにぎりを食べたりしたことが、とても楽しかったことを覚えています。小学生から中学生にかけては、いろんなオーディションを受けに福岡市内まで来ていました。オーディションのときはいつも緊張していましたし、いいところまで行っては結果を出せていなかったので、悔しい思いを抱えながら久留米に帰っていました。
また、中学時代は福岡のモデル事務所に所属していたため、天神の事務所にも通っていました。ちょうど、ファッションやカルチャーに目覚めた時期で、天神コアのギャルショップや大名の古着店、北天神にあったタワーレコードやまんだらけにもよく行っていましたね。上京前に初めてライブハウスに出演したのも天神でした。天神ビッグバンの再開発に伴い閉店してしまった「HEART BEAT」で、15分だけ歌わせてもらったことは、今でもいい思い出です。
本格的な音楽活動を始めるために、15歳で大阪へ移り住みましたが、福岡にはなかなか戻ってくることができませんでした。2008年に久留米でライブをしたものの、それ以外は福岡でライブをすることはありませんでしたね。福岡でライブができるようになったのは2014年のメジャーデビューがきっかけです。この年に初めて、MUSIC CITY TENJIN(以下MCT)に出演。福岡市役所西側ふれあい広場のメインステージに立たせていただきました。MCTには3回出演させていただきましたが、街全体に音楽が響き渡っていて、凄いイベントだなと感じました。というのも、都市部では音の制限があり、屋外で大音量のライブをすることが難しいのですが、MCTは渡辺通りを横断していても、あちらこちらから音が聴こえてきて、街全体が音楽を愛しているんだなという印象を受けましたね。ライブで福岡に帰ってくるようになってからは、屋台でラーメンを食べたり、母と「天ぷらのひらお(現天麩羅処ひらお)」へ行ったり、新天町の喫茶店に行ったりと、天神で過ごす時間を楽しむようになりました。
新天町にある「ミュージックプラザ・インドウ」さんには、キャンペーンで伺って以来、とてもよくしていただいています。スタッフの皆さんは、とても温かくやさしい方ばかり。インターネットの普及により、ネットで音源を買うことが一般的になった今でも、レコードやCDを実際に手に取って購入できるショップの存在は、とても貴重です。このようなショップが残っていることも、ノスタルジックな気持ちを呼び起こしてくれるのではないかと思います。このような個性のあるお店や、会いたい人がいるお店が存続することはもちろん、新しくできるお店も福岡ならではのキャラクターを感じられる場所であって欲しいですね。そして、MCTというイベントが息づく天神だからこそ、常に音楽を感じられる場所ができることに期待しています。天神は、私にとって「歌手になる!」という夢を追いかけた街。帰ってくるたびにそのときの気持ちを思い出し、かっこいい自分でいたいと気持ちが蘇ります。この気持ちを大切に、日々を過ごし、再び福岡に帰ってきたいと思っています。
2023年5月、長年所属した事務所を離れ、フリーのアーティストとして活動をスタートさせた植田真梨恵さん。2024年にはメジャーデビュー10周年を記念したライブツアーを行ない、多くのファンを魅了しました。ツアー初日の会場は、大名の「ライブハウス秘密」だったそうです。「ツアーが終わったので、これからアルバム制作に入ります。このアルバムを通して、新しい植田真梨恵の曲と映像をお届けしますので、楽しみにしてください」と、語ってくれました。