MEETS DIFFERENT IDEAS, LIFE×ART×CULTURE×BUSINESS×IMAGINATION×CO-CREATION. 

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ONE FUKUOKA PROJECT.

アートコーディネーター、ART BASE 88 代表 宮本 初音さん

都市を美術館に!福岡にアートの種を蒔いた
『ミュージアム・シティ・天神』という冒険

『ソラリアプラザ』と『イムズ』が華々しくオープンし、天神が都市として大きな転換期を迎えた1989年。その翌年の1990年に、天神の街なかや商業施設、ギャラリーに現代アート作家の作品を公開展示する美術展『ミュージアム・シティ・天神』が開催されました。以後、会場を拡大しながら10年に及ぶ定期開催を通して、福岡市にアートの種を蒔き続け、根付かせた、この画期的なプロジェクトが都市にもたらしたものとは──。活動当初から企画・運営に携わった宮本初音さんに振り返っていただきます。

PROFILE

アートコーディネーター、ART BASE 88 代表

宮本 初音さん

1962年、山口県生まれ、福岡市育ち。1988年九州大学卒業。1983年からアーティストとして作品制作に携わり、1990年代以降は主にマネジメント側で活躍。福岡市を拠点に街なかのアートプロジェクトやアートマップ制作、国内外アーティスト交流事業などの企画運営に携わる。2022年度から福岡アジア美術館アーティストインレジデンスコーディネーター事業の主任コーディネーターを務める他、次世代アーティストの育成サポートにも力を注ぐ。

行政と民間企業とアーティストの熱が
冒険的なプロジェクトを動かした。

天神の街を美術館にする──。1990年に始まった『ミュージアム・シティ・天神』は今振り返ってもかなり冒険的な美術展です。運営には当時シティ情報ふくおかを発行していたプランニング秀巧社も携わっていて、私は同社のビルにあった事務局でボランティアとして参加しました。立ち上げには関わっていませんが、企画のベースになったのは89年に博多駅エリアのホテルの一画で開催された『GAS』をはじめ、80年代からアーティストたちが実践してきた企画展や展覧会でしょう。

当時はインスタレーションという表現方法が流行り始めていた頃で、発表の場も美術館やギャラリーといったホワイトキューブから外に飛び出すという試みがトレンドでした。そうしたアートの動きと、天神に文化をと願う行政、イムズをはじめとする文化発信型の商業施設、地域の賑わいに期待する地元商店街など、様々な方面の思わくが合致し、希望や欲みたいなものもひっくるめた熱がドドド―ッと交錯した感じ。「アートってなんや?」という戸惑いを抱く関係者も多い中、行政・民間の企業や商店・アーティストが一緒に情熱を注いで実現させたという点に、他にはないユニークさがあると思います。

想定外の転がり方で影響が広がる。
それがアートプロジェクトの面白さ。

天神は広告のパワーが強い商業地区。街の中のアートは意外と埋没してしまうんです。1990年当時もアート作品は広告の一種、ちょっと気の利いたイラストくらいにしか思われていませんでした。そんな中で天神のあちこちにドラム缶や鉄、木を使ったでっかい作品が登場したものだから、街ゆく人は正直「何しようかよう分からん」「変わった広告やね」って感じだったでしょうね。でも2年に1回のペースで回を重ねるうちに、「これはどうもアートというプロジェクトらしい」という認識がじわじわと浸透。課題は山積みでしたが、市民参加型のワークショップを開くなど開催ごとに実験的な試みを取り入れながら、10年間しつこくやってきたわけです。10年の間には福岡の歴史や特徴を取り入れた作品が生まれ、繊細な作品の運搬にご協力いただいた西鉄運輸さんなど地元企業の方々との出会いもありました。それまでアートに関わりがなかった様々な専門分野のプロが「よし、ここは任せとけ!」と力を発揮して、アートと関わりを持っていく。想定外の転がり方で様々な方面に影響を与えていくのもアートプロジェクトのおもしろさですね。

アーティストに希望をもたらした
ウォールアートという試み。

『ミュージアム・シティ・天神』が始まった1990年からアジア美術館の開館する1999年にかけて、福岡は国内のアート関係者からも「なんか面白い」と認識される都市になりました。それから30年以上が経ち、『Fukuoka Art Next』を掲げる福岡ではまたいろんな所でアートプロジェクトが増えていて、「福岡がまた久しぶりに面白くなってきてるね」という声もよく耳にします。そんなアートプロジェクトの試みのひとつが、天神ビッグバンの工事現場を囲う壁に展示されているウォールアート。私は作品選びの審査員を務めながら、このプロジェクトが予想していた以上にアーティストに希望を与えていることに驚きました。コロナ禍を経て、自分の作品が誰かの審査によって世の中に出せるということに、改めて嬉しい手応えを感じたんだと思います。九州のアーティストにとって、アート関係者の期待値が高い福岡で作品を発表できるのは貴重なチャンス。こうした機会の創出から新しい気運も高まります。30年前のように、今また、いろんな人の希望や欲も含めた熱意が交錯しつつあるのかもしれません。

天神は福岡らしいとんがった
カルチャーが似合う都市であってほしい。

私の祖父は今の西鉄の前身にあたる第二次九州鉄道に所属して、設計図をひいていたらしいんです。戦後、天神に西鉄電車を引いてデパートやビルをつなぐといったプロジェクトにも参加し、ONE FUKUOKA BLDG.の前にここに建っていた福ビルの完成時には「鼻が高い」と話していたそうです。祖父がこのビルを見たら何て言うのか、聞いてみたかったですね。私も幼い頃から福岡で育ち、天神には西鉄福岡駅のコンコースや警固公園、新天町の社員食堂など思い出深い場所が数えきれないほどあります。リニューアルを経た現在の博多駅には九州の顔みたいなイメージがありますが、天神に期待するのはまた違う感じ。もっと福岡らしいとんがったカルチャーが似合う気がします。
そういえば、かつて東京の人たちは『ミュージアム・シティ・天神』のことを、“天神”って呼んでいました。「次の“天神”はいつやるの?」みたいな感じで。独特の浸透力を持つその音の響きも、どこかこの都市の魅力を象徴していますよね。

衝動的で能動的、予想がつかなくて目が離せない!『ミュージアム・シティ・天神』という試みは、アート本来の面白さそのものだったように感じます。あれから30年以上、2022年には旧舞鶴中学校校舎内にアーティストの成長・交流拠点Artist Cafe Fukuokaが誕生。同施設の専門アドバイザーも務める宮本さんは、自身が主宰するART BASE 88でも次世代アーティストの活動をサポート中。かつて天神に蒔かれたアートの種はこうして福岡全域に根を張り、各地でジャンルの枠を超えたユニークな活動が広がっています。