ONE FUKUOKA PROJECT.
日本の暮らしの心地好さ――。「中川政七商店」はこの考えを大切に、日本の工芸に根差した生活雑貨を届けている企業です。1716(享保元)年、奈良で高級麻織物「奈良晒」(奈良の伝統工芸)の商いを始めたのがその起源。現在は全国800以上の作り手と協業してものづくりに取り組み、国内60以上の直営店を通じて工芸の魅力を伝えています。「ワンビル」3階には九州エリア最大級の旗艦店も開業予定。309年の歴史を持つ同社で、創業家以外から初の社長に抜擢された千石あやさんに、ものづくりや九州の工芸についての想いを伺いました。
中川政七商店 14代 代表取締役社長
1976年、香川県生まれ。大阪芸術大学を卒業後、大手印刷会社に入社し、12年間に渡りデザイナーや制作ディレクターとして勤務する。2011年には「中川政七商店」へ入社。生産管理、社長秘書、商品企画、コンサルティング、「遊 中川」ブランドマネージャー、ブランドマネジメント室室長などの経験を経て、2018年には創業家以外から初となる第14代社長に就任。「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、ものづくりや産地支援等の事業を展開している。
かつて在籍した印刷会社での仕事は、とても楽しかったです。でも、紙媒体をはじめ商業印刷や商業デザインの世界って、基本的にはサイクルが早くて。20代後半になり、今後の仕事への関わり方を考えたとき、次は“息が長いものづくり”に携わりたいと思ったんです。そうして出合ったのが「中川政七商店」、そして当時の社長(現会長)、13代・中川政七でした。
“日本のものづくりは素晴らしい”ということだけでなく、現代の問題にもきっちり目を向け、職人が経済的に自立するために、後継者不足を解消するために……という、リアルな視点で工芸に向き合う姿勢に惹かれました。芸大の同級生には職人になった人もいて、工芸業界をとりまく現状を聞いていたこともあったので、この会社の取り組みは面白い、きっと学ぶことがたくさんあると、飛び込みました。
1985(昭和60)年に開業した「遊 中川」が、今に続く生活雑貨事業のはじまりで、現在全国に展開する、会社名を冠したブランド「中川政七商店」が発表されたのは2010年のこと。私が入社した2011年は、京都に「中川政七商店」の1号店がオープンして間もない頃でした。会社としてもこれまでとはまったく違うスピード感で進み出した頃で、老舗だけど中身はベンチャー。私を含め、社員みんながさまざまな役割を兼任しながら、ジョブローテーションを積極的に行ない、経験を積んだ時期でした。やがて、社長の交代を告げられた時は流石に仰天して半年近く悩みましたが…。「社員全員が成長するために、トップダウンからチームワークの企業へ変化する」という13代の決断に覚悟を決めました。「日本の工芸を元気にする!」という揺るぎないビジョン、その想いに100%共感した人が集う会社だから、協力して闘える。チームとしてまだまだ完成形ではないですが、みんなで日本のものづくりを元気にしたいと考えています。
土地土地に伝わる工芸を守り、進化させながら、産地・地域の魅力を発信する。それがひいては文化・風習を含めた地域性の保全につながる。これは私たちのビジョンの一つのゴールでもあります。「ワンビル」の新店舗では、さまざまな仕掛けを盛り込んでいるところです。九州のものづくり特化コーナーを作るだけでなく、什器や壁など空間全体に仲間たちの手仕事を詰め込み、九州の工芸を体現できる場所にしたいなぁと。「シラキ工芸」の八女提灯を生かした照明、佐賀「平田椅子製作所」の椅子、壁には佐賀「名尾手すき和紙」の和紙や「マルヒロ」の陶器の破片を利用するなど…、私自身も楽しみで仕方ありません。九州、福岡の方々は明るくオープンで、軽やかなイメージがあり、職人さんも柔軟に受け入れてくださる方が多いと感じています。工芸はもちろん、土地、食、人、あらゆるものが豊かですよね。そんな九州の魅力を“天神から発信したい!”と気持ちを込めて準備中で、すごく特色のあるお店になる予定なので、楽しみにしていてください。
「暮らすように働く」をコンセプトにしたという平屋建ての本社内は扉がなく、部屋を仕切るのは風通しの良い麻織物ののれん。2021年に開業した中川政七商店初の複合商業施設「鹿猿狐ビルヂング」は、中川家の住まい兼商いの場であった築130年の町家と、現代建築が見事に融合――。商品だけでなく、「中川政七商店」が手がけるものはみんな心地よく現代に馴染み、千石さんの言葉には“日本の工芸を未来につなぐ”という想いが溢れています。たくさんのヒト・モノ・コトが集う“創造交差点”となる「ワンビル」に、そんな「中川政七商店」がやって来る。福岡、九州のどんな魅力に出合えるのか、今からワクワクが止まりません。