MEETS DIFFERENT IDEAS, LIFE×ART×CULTURE×BUSINESS×IMAGINATION×CO-CREATION. 

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ONE FUKUOKA PROJECT.

アーキビスト、近現代史研究家、アートディレクター益田 啓一郎さん

歴史を発掘し、まちの魅力を発信。“過去と今をつなぐ”アーキビストが見つめる天神の姿

アーキビストとは、文化や産業といった保存価値のある情報を集め、管理し、それらを意義付けしながら活用する人材のこと。益田啓一郎さんは福岡随一のアーキビストであり、20年以上に渡り福岡の歴史を発掘・魅力の発信を続けてきました。“福岡・天神の発展の陰に益田さんの姿アリ!”と言いたくなるほど、数多くの企業や企画にも携わり、天神の街と密接に関わってきた益田さん。見つめてきた街の姿や抱えた想い、これからの天神へ期待することなどを伺いました。

PROFILE

アーキビスト、近現代史研究家、アートディレクター

益田 啓一郎さん

1966年、大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、10万点超の古写真・絵葉書を収集し、近現代史を研究。西日本鉄道「にしてつWebミュージアム」等の地域史・社史の執筆や監修、講演、広報アドバイザーとして活躍する。FBSめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」等のTV番組・映画・舞台の時代考証・企画協力・資料提供は800本以上。著書には「古写真・資料で見る 松永安左エ門と福岡の近現代史」など。2025年夏には新著「天神の過去と今をつなぐ」(仮題)を刊行予定。

県庁前花時計と街路灯・街路樹(1959年頃)所蔵:益田啓一郎

「天神交差点」を中心に発展したまち。岩田屋や花時計、目に焼き付いた天神の景色

天神という地名は、菅原道真公を祀る「水鏡天満宮」に由来しています。この場所は福岡城の鬼門で、それを守護するためにかつて庄村(現在の今泉)にあった容見天神をここへ移したんです。そこから、天満宮に面した東西に長い通りが「天神町(てんじんのちょう)」と呼ばれるようになりました。天神町一帯は、武家屋敷が並ぶ城下町からやがては県庁舎や市役所、警察署が置かれる官庁街へと変化。
1910(明治43)年には「第13回九州沖縄八県連合共進会」が開かれ、同年に「福博電気軌道(貫通線・呉服町線)」、翌年に「博多電気軌道(循環線)」も開業し、2つの路面電車が交差する場所に“天神交差点”が誕生しました。これが天神発展の起点となったんです。僕がそんな天神に初めてやって来たのは昭和50年ごろ、小学生の頃でした。岩田屋や県庁の角にあった花時計など、懐かしい光景が目に焼き付いています。

「デザインを学ぶなら、街に出なさい」。師の言葉がアーキビストとしての起点に

天神の景色といえば、騙し絵みたいな「天神コア」のロゴマークも印象的です。あのロゴは、憧れのグラフィックデザイナー・福田繁雄さんの作品。僕はあのデザインが大好きで、そこからグラフィックデザインの分野へ興味を持ち、福岡のデザイン学校へ進学しました。そこで、先生からこう指導されたんです。「デザインを学ぶなら街に出なさい」と。「天神地下街を歩く」という授業では、とにかく歩き回って街を観察。1985(昭和60)年当時は、スマホなんてないから、店名はひたすらメモ、ロゴや展示物などは写真を撮ったりして記録する。お金はなくともパンフレットやチラシは無料でもらえるし、ファイリングしておけば勉強になります。“意識して天神を見た”のはこれが最初で、私のアーキビスト活動の起点ですね。そこから今まで約40年間、ずーっと集めてる。天神コア開業のチラシやグランドホテル開業のパンフレットも遡って収集して持っていますよ。過去を知り、新しいモノを取り入れて、これからも文化・流行の発信地に!

企業や事業の創生に携わり、街の人と交流し、天神のまちの変遷や発展を見つめてきた

また、僕が中途でゼンリン子会社に入社したのは、1990(平成2)年にイムズホールで開催された「第1回ゼンリン・オリジナル地図コンクール」の入賞セレモニーと展示会で感銘を受けたことがきっかけです。入社後は営業企画を経て福岡支店に配属され、観光マップや新ビジネスの企画立案など、地図を活用したツール制作やプランニングに従事。やがて独立後は、企業や団体のアートディレクション、イベントの企画運営、店舗展開のマーケティングなど、あらゆる事業に携わりました。会社での経験はもちろん、“街を観察すること”を続けながら街の人々と信頼関係を築き、収集した膨大な資料があるから、仕事の幅はどんどん広がっていきました。例えば、西日本鉄道が創業100周年を迎えた2008(平成20)年に製作された「天神ジオラマ」は、西鉄さんのアーカイブを中心に、足りない部分を僕の収集した資料で補い制作された1962(昭和37)年の天神の街並みです。これを撮影した写真は、岩田屋80年誌の表紙にも採用されました。

過去を知り、新しいモノを取り入れて、これからも文化・流行の発信地に!

歴史から人の営みまでを細かく、全体的に把握している人は僕以外にそういないから、現在はTV番組や舞台等の時代考証・監修のご依頼も多くいただいています。だけど、僕1人の力には限りがあるし、こういった情報に誰もがアクセスできる場所があれば、アイデアや発想はより豊かになり、福岡・天神の魅力がもっと多角的に伝わっていくと思います。面白いコンテンツになる素材が、天神にはたくさんあるんです。――この場所、福ビルや天神コアは流行、文化に触れられる場所だった。福ビルの「日本楽器(ヤマハ)」や地下の「アウトリガー(バーガーショップ)」に福岡のアーティストが集い、めんたいロックが盛り上がっていったりね。僕の1番思い出深い場所もやっぱりここが中心。天神コアの「紀伊国屋書店」、福ビルの「丸善」と文具店「とうじ」、天神ビブレにあった「ビブレホール」やCDショップ「サウンドヒロカネ」にもよく通いました。「ワンビル」は、これからも天神発の何かが生まれる、文化や流行の発信地であって欲しいですね。そして、先ほど話した、福岡・天神の歴史にアクセスできるような場所が生まれるとさらに嬉しい。歴史は一つの財産だから、忘れず大切にしながら前に進んでいきたいですね。

天神の歴史、街の変遷について解説する講演や執筆も数多く手がけている益田さん。「天神発展の起点は、天神交差点の誕生から」との見解も、益田さんの資料や研究によって広く知られるようになりました。また、この3年間は毎月、移り変わる天神交差点の景色を写真に収めているそうです。「100年に一度の大変革」とも呼ばれている“天神ビッグバン”で、福ビル街区がどう生まれ変わっていくのか……。益田さんは、新たな歴史を真っ直ぐに見つめ続けています。